僕を埋め尽くす秘密
バイでリバの♂が恋愛仕事人生等に悩みながらも真面目に生きてるよ

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対話
片方だけじゃダメなんだよ。

人は皆2つの能力を持って生まれてくる。
感じる能力と、考える能力。
右脳左脳とも言うけど、単純に脳だけの問題と
考えるのは片方の能力しか使ってない状態。

人の話を聞く時、人に話をする時、
人はとにかく言葉を使う。
形にならない思考や感情をとにかく言語化、
何でもかんでも言葉にしないと人には伝わらない。

実は動物も少ない意思だが言葉ではなく
行動や鳴声の変化で伝えている。
だからって人と同じかと言えば、そうじゃない。
動物は同種に嘘を吐かない。

言葉は嘘を吐く為にあるようなもので、
嘘を吐くからこそ人は人であり、伝えることに関して
動物とは一線を画した違う生き物になっている。

人として熟練した生き物は大人と呼ばれ、
大人は子供よりも巧みに言葉を使えるようになる。
巧みに言葉を使えるということは、
より一層巧みに嘘が吐けるということ。

嘘を吐く時人は感じる能力を使わない。
考える能力しか使わない。
嘘に限らず、大人は感じるよりもまず
言葉を考え理解する癖がついてしまう。

考えて理解するだけじゃダメなんですよ、
それじゃ全体像は見えません。
どんなに頭が良くても、感じる力も使わないと
人間同士は理解なんて出来ませんよ。

感じるだけでもダメですよ。
感覚だけで物言ったって誰にも意味は伝わらない、
感じる天才の言葉は天才にしかわからない、
世の中天才ばかりじゃないから、殆どの人には
どんなに語っても意味不明な変人で終わってしまう。

これは両方備わってないとダメだと思うんですよ、
人としてダメだと言ってる意味ではなく
少なくとも人と対話するのに必要な能力としてはダメ。
どちらが欠けても足りないものだと思います。

会話だけなら簡単です、ただ言葉に言葉を返せばいい。
打ち返すだけの単純な動作なら
機械のプログラムでも充分事足りてしまう。
感じる力、考える力、片方あれば充分成立するでしょう。

対話は人間にしか出来ないから難しいんです。
相手の話を読むのではなく読み解くのが対話、
聞くのではなく聞いて理解するまでが対話、
知って覚えるだけではなく感じて考える、これが人の対話。

感じながら考えたり考えながら感じたり、
どっちも人との対話には必要な能力じゃないですか?
どちらが欠けてもダメなんですよ、
片方が伸びては会話は出来るけど、対話は出来ない人。

生まれた時は確かにどちらも備わってたはずなんです、
生きていく中で感じる力を使うことを怠けたり
考える力を使うことを怠けてなけりゃ
どちらも衰えたりしない。

この2つの能力は怠惰から衰えが始まるんじゃない?
何かと鋭い人もいるでしょうが、鍛えるよりも以前に
最初は誰でも両方持って生まれてるんですよ。
機会は均等にあったはず、衰えたのは何のせいか?

最近怠けてないですか?そして偏ってないですか?
大事なのは能力の数値の大きさじゃないんです、
均等なバランスだと思います。

頭が良くて考える力が97点でも
感じる力が弱く3点の人では対話には向かない。
それなら考える力感じる力共に50点の方が
対話に向いてる人だと思うんです。

感情の無い理屈論なんて耳に届いても
誰の心にも届かない言語の羅列、
理屈の無い感情論も耳に届いたって
共感出来る限られた人以外には意味不明な騒音。

感情の篭った、血の通った理屈
若しくは仕組みがわかる感情でないと
どんなに訴えても沢山の人には届かないんじゃないかと。
人は耳と心、両方持って生まれてますから。

子供はいずれ大人になるわけだけど、
大人はどうも頭で考えてしまいがち。
自分の経験の中で作られた物差しで、全てを測る癖がつく。

物差しは万物に対応してるわけじゃないでしょ?
ましてや自作のオリジナル物差しなんて
実は殆ど計測の役には立たないと思いませんか?

何でもかんでも無理して今ある物差しで
測らなくてもいいんじゃない?
新しいことには新しい計測道具を作って測らないと
正しい理解なんてまず出来ない、未対応は無と同じ。

今あるもので何とかしようとする気構えは好きだけど
何ともならないことはちゃんとあるよ。
新しい物差し計測道具を作ることは面倒だけど、
これを面倒臭がっちゃ理解なんて到底無理じゃないかな。

帯に短し襷に長しって言葉もあるじゃん?
ちっぽけな人間1人が作れる物差しなんて、そんなもの。
人間の大人だってそんなもんでしょ、ちっぽけじゃん。

世間が政治家に庶民派感覚を期待する理由も
ここにあるんじゃないかな、
庶民派感覚がわからない、頭で計算しか出来ない
理屈ばかりの頭でっかちな人に自分達のこと任せられない。
わかってもらえなさそうだから、安心出来ない。

対話も同じこと、話して安心する人は
やっぱりわかってくれそうな人。
これは人なら誰もが共有する感覚なんじゃないかな、
誰もわかってくれなさそうだと思ったら、何も話せなくなる。

わかってくれそうだと思える人は、考える力と感じる力を
両方同じだけバランスよく有してる人じゃないかな。
偏ってたら何も話してもらえない、僕も話せないと思う。

感じて考えて、どっちもサボっちゃダメだよ僕も。
これからもずっと、生きてる間はずっと。
話聞いてもらえなくなるし話もしてもらえなくなるし
誰からも相手にされなくなってしまう。

「こいつに言ってもどうせわかんない」
そう思われる回数を少しでも減らせるのは自身だけだから、
結局は僕も独りにはなりたくないってことだろう。
沢山嫌われてもいいけど、独りにはなりたくない。

対話の理解は今ある物差しを捨てることから始まるんじゃないかな。

テーマ:今日のヒトリゴト。 - ジャンル:恋愛

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コメント閲覧
うぅ、耳が痛いです。
toyoさん、こんばんは。
年を取るというのはそういうことなのですね。
自己反省中です。確かに年を重ねるごとに、経験上から話しやすい相手とは対話を楽しくしていますが、そうでない相手となるとサボっています。
自分から対話に線を引いているにもかかわらず、相手のせいにしているように思います。
直していかなければならないことに気付かせてくれてありがとうございます。
本当に気をつけなければ……。
【2007/09/15 01:33】 URL | jin #- [ 編集]

>jinさん
jinさんこんばんは。
自分で言っといておかしな話ですが
耳が痛いのは僕も同じなんです。
僕も段々と経験が蓄積されてって
無意識にtoyoの物差しを片手に
人の話を聞いている時があるので。
無意識だと手にくっついてしまってる
みたいなんですよね、捨てなきゃって
自分で意識しないと手から離れてくれないみたい。

で、結果もちゃんとわかってるんですよね、
無意識の経験測量癖が相手にどう思われるか。
自分でも「こいつに話してもダメかな」と
諦めたくなったり話す気無くなっちゃったり。
嫌うわけじゃないけど、見限ってしまう。
安心して気持ち良く話してもらえない自分になるのも
逆の自分を作るのも己次第だろって思ったので。
【2007/09/15 20:41】 URL | toyo #- [ 編集]


toyoさんこんばんは。
上でコメントされてるjinさんと同じく、耳が痛いなーと思っています。私も言葉を考え理解する能力と感じる力の均衡が整ってるとは言い難いからです。

ただ、
>言葉は嘘を吐く為にあるようなもので
というのはクリスチャンではありませんが聖書の中の言葉に苦しいときに救われた人間からすると、はいそのとうりです、とは同意できません。初に言葉があった、というのが聖書にありますけど、言葉を嘘を吐くために使うだけでなく、言葉を尊重して使う人が居ることだけは、非常に些細なことですがちょっと気に留めておいていただけると幸いです。

>大人はどうも頭で考えてしまいがち。
>自分の経験の中で作られた物差しで、
>全てを測る癖がつく
というのも耳が痛かったりします。ただ、これが大人にとってのアドバンテージでもあったりします。経験をへて蓄積されたものを引き出したりすることで、かたがつくことがないわけじゃないので。また、当座相手を理解するよすがとして、もっているモノサシで相手を計測して相手の発言等のあたりをつける、ということをするほうが理解への早道なんかな、と思う部分が私はあります(ただし思いっきり外すこともあるのですけど)。今あるモノサシを捨てることはちょっと容易ではなかったりします。
けどそうはいっても今もってるモノサシを過信するのは危険だとおもいますし、そもそも対人関係において言葉の正確な理解や人の心の中なんて誰にも容易にわからないし、思考の言語化を精一杯したとしても他人への伝達が容易でないからこそ、より自分の心を表現する言葉を捜す態度や対人関係の中で相手を理解しようという態度がが育ってくるのかなと思います。

バランスが大事、というのは判ってはいるのですがなかなか難しいとおもいます。けど、難しいからといって安易に流されてはまずいし、また、モノサシの修正や焼き直しを怠ってたらやはり孤立するかもしれないという警告は肝に銘じておきたいと思います。
【2007/09/15 22:05】 URL | グスタフ #- [ 編集]

>グスタフさん
グスタフさんこんばんは。
まず僕は聖書の中身を知らない人間なので
否定する気は無いですが、宗教の中で生まれた基準とは
限られた一部の世界にのみ通用する基準だと
認識しております。どんな宗教でも。
キリスト教は一部と言っても大きな世界ですが、
一部はあくまでも一部ではないでしょうか?
いわゆるわかる人にしかわからない話、みたいな。
宗教観念に疎い僕に用いられても掴みから難解でした。

そしてシンプルな真実、本音のみを伝えるだけなら
動物を例に見ると複雑な言葉は必要無いのではと考えました。
じゃあ言葉というツールは何の為に生まれたか?
突き詰めると嘘の為かな?との考えに至ったのです。
元は何の為に生まれたツールでも、どう使うかは
後に使う人間次第で結果は変化するでしょう、
どんなツールでもそう。
嘘に使うも良し、真実をより詳細に伝えるに使うも良し、
しかし嘘に使ったことが無い人間はいないという事実は無視出来ないと思われます。
「あるようなもの」という表現がおかしかったかもしれません、
「何の為に生まれたか」と言いたかったので。

経験から作られた物差しや引き出しの中身が
役に立つ場面も当然あるとは思います。
確かに経験から測ることも人が生きる為に必要な能力です。
ですが僕は今回「対話」という場面にのみ
重点を置いた話でしたので他の場面は別件と考えました。
「対話」に限ればどちらかと言うと、当たり外れが激しい
不安定な能力なのであまり役に立たない気がします。
別場面と対話場面で能力の切り替えが出来れば最良ですが。

思いっきり外した時、僕も物差しを片手にしてると
後で気付いた時は大概そのような結果になってます。
で、僕は自分が外したことも逆に外されたこともあり
外された時の気持ちを思い出すとこれは良くないな、と。
この「良くないな」も物差しじゃん?と言われると
返す言葉が無いのですが。

物差しを片手に、とは頭が固くなり柔軟性が失われ
素直な耳でなくなる状態であります。
そういう人との対話を強いられた時、
筆舌し難い苦痛を感じることがあります。
一言で言うと「しんどい」が一番近い表現かも。
話相手にしんどいと思われない大人になりたいなぁ~
と言うのが僕の理想の大人像なのでこんな記事を書きました。

最初のステップとしては、相手の言葉を疑わずに
素直に丸ごと飲み込んで後から味わう、が
最も有効かなって考えてます。
疑うとは考える力で、飲み込むは感じる力、
すなわち最初は考えずにまず感じて聞き、
感じた後に考える、が妥当かな?と思いました。
【2007/09/15 23:17】 URL | toyo #- [ 編集]

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